2002年7月9日
予定日を過ぎても陣痛の気配が無い。初産は遅れるらしいが以前より医者には予定より早まりそうと言われ
数週間前から今日か、今日かと思いながら一向に来ず少々待ちくたびれ気味。
検診に行くと羊水が少し減っているので産んだ方が良いとのこと。午後に入院し陣痛を誘発することにした。
入院前、しばらく外食には行けないことから、最後の晩餐とばかりにイタメシ屋に入りパスタ、ピザを平らげた。
入院しすぐに陣痛誘発剤を飲む。「旦那さんは帰って良いよ」と言われてしまった。夕方一度は帰宅したが少し気になり
数時間後再度病院に戻ると「痛たたたたたた」と騒いでいた。今まで時々お腹が痛くなり「陣痛かな?」と思うようなことが
有ったそうだがその痛みとは比べものにならないほど痛いらしい。腰の辺りをさすると楽になるらしくさすってやることにした。
痛い時間は30秒くらい。陣痛の間隔は5分周期。陣痛が来るたびに妻は「痛たたたたた」私は腰をさするを繰り返す。
そうこうしているうちに面会終了時間が来た。妻はさすがに帰って欲しくなさそうだ。ナースステーションに行き「残って良いか」
と聞くと「どうぞ」の返事。こんばんはこのままいようと思ったが晩飯がまだ。9日10日は牛丼の日ということで吉野屋に直行。
急いで食べて病院に戻る途中「オニイサン、マッサージシテイカナイ」と外国人。こっちはそれどころじゃないと病院へ直行。
戻ってみると相変わらず「痛たたたたたた」一定時間ごとに誘発剤を飲んでいるが一向に陣痛の間隔が縮まらない。
1分間隔位にならないと産まれないらしい。

7月10日
日付が変わっても陣痛は5分間隔。目はウトウトしてくるが5分ごとに大声を出され寝る暇がない。
1時、3時、5時、7時何時間経っても間隔は5分のまま朝が来た。久しぶりの徹夜だ。腰をさする手もかなりつかれたが
これくらいは陣痛の比では無い。7時半に先生が来て「このまま待って夜まで痛いのも辛いでしょう」ということで
今度は分娩室に入り点滴で陣痛促進剤をうつことにした。がしばらくしてもなかなか間隔が短くならない。
少しずつ量を増やすと段々間隔が短くなった。10時過ぎ分娩室を出て産まれてくるのを外で待つことにした。
11時を過ぎたころからなかでいきんでいる声が聞こえてきた。「もう少しだ、頑張れ」男はこう言うことしかできない。
11時49分。中から「オギャ〜」と聞こえてきた。やった!ついに産まれた。しばらくして先生が中から出てきて
「3716gの大きな女の子です。へその緒が首に巻き付いていたので危なかったけど大丈夫です」とのこと。
しばらくすると今度は助産婦さんが出てきて「カメラ持ってきてるんでしょ。中にどうぞ」といわれてしまった。
持っていたバッグにはビデオ、デジカメ、一眼レフが入っており見透かされてしまったようで恥ずかしかった。
生後30分の我が娘。もっと小さいイメージが有ったのだが意外と大きかった。大きい分顔も猿顔でなく
赤ちゃんらしい顔立ちだったが妻にそっくりで少し嫉妬。その後赤ちゃんは新生児室にに連れて行かれ妻と病室に行った。
妻は歩くことが出来ず車椅子で移動となった。一仕事を終えベットに横になった妻を見て「女って凄いな」と思った。
夕方まで一緒にいたが徹夜したこともありその日は早く帰って休むことにした。長い一日だった。がまだ一日は終わらない。
この夜台風6号がやってきて日本中に大きな爪痕を残していった。私も超大型台風の暴風雨のなか産まれたそうです。
正に台風一家。(爆)

7月11日
キンコンダッシュ(定時の鐘とともにダッシュで帰宅)で病院に直行する。
今日からは病室で母親と一緒になる。部屋に入るとスヤスヤと寝ていた。時々手足を動かしたり顔をしかめたり。
黙ってみているだけでも全く飽きない。他人の子供も可愛いと思うが我が子というものは可愛いを超越してしまう。
7月12日
今日もキンコンダッシュ!
抱っこしたりミルクを与えたりしてみた。ミルクを飲むときは相手の目をジッと見つめながら飲む。
ミルクの時は大人しいが泣き始めるとかなり大変。どうやっても泣きやまない。こっちが泣きたいくらいだ。

7月13日
本日は面会のラッシュ。
私の母親を皮切りにシモナオさん、ヤマザキ夫妻、すぎゃ夫妻、アマノさんと面会に来てくれた。
妻も久しぶりに知人と話が出来気分転換になったようだ。こうゆう時あらためて友人て有り難いものだと思う。
また、今回これなっかったかたも是非我が家に遊びに来て下さい。

7月14日
14時に病院に行く。泣くは騒ぐは飲むはちびるはで大変。家に来たらどうなってしまうのだろう?

7月15日
またもやキンコンダッシュ。会社で仕事をしているのだろうか?
とにかく我が子に会いたい。それだけです。

7月16日
今日の午後退院です。が午前中、今度は台風7号が来て暴風雨でした。
午後になると台風は通り過ぎ台風一家、間違え台風一過の青空になりました。
3時前に退院し近くの市役所に直行。出生届けを出してきました。
名前は「夏南(かな)」にしました。
妻と一緒に考え産まれる前から決めていました。ただ先生からは早めに産まれそうと言われていたので
6月に産まれちゃうと夏って感じじゃないのでなんとか7月生まれになることを祈っていました。
決してW杯の決勝が見たいと理由だけではなかったのです。南は夢のお告げからとりました。
欲を言えば7月1日が理想でした。この日はカナダの独立記念日なので「かな」にしたんだよと後年娘に説明
しやすいと思ったので。
本当は夢のお告げの南海が良かったのですがさすがに「ナンシー」は無理なので「なみ」と呼ぶ方法も有ったのですが「並み」の
人じゃ困る。「超一流」になって我々を楽にして欲しいので却下しましたが、名残惜しいので「南」の字は残しました。。
とにかく無事届けも終わり妻の実家に連れていきました。しばらくの間ご迷惑をかけることになりますがよろしくお願いします。

出産直後 イエ〜イ 退院ルック

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