青森県

      中2から高校卒業まで八戸市に住んでいました。
      私自身は魚介類が苦手なのですが好きな人にとっては最高の場所でしょう。
      夏に行われる三社大祭はねぶたに匹敵するような山車が見られる良い祭りです。
      青森ねぶた、弘前ねぷた、そして八戸の三社大祭をお忘れなく。
      学生時代は所属していたバレー部が強かったので県大会では青森市、弘前市、十和田市、三沢市
      他多くの会場で試合ができました。当然観光は出来ませんが良い思いでがいっぱいです。
      家族や、遠足、部活の合宿等で訪れた十和田湖、奥入瀬渓流は紅葉の時期に是非行って見てください。
      その他、三沢基地、八甲田山等色々遊びに行き思いでの多い県です。
      またゆっくりと訪れて見たいものです。

      2003年7月5日
      中学高校のバレー部でお世話になった先輩の結婚式があり6年ぶりの八戸となった。
      昨年八戸まで延長した東北新幹線「はやて」に乗り上野から約3時間。早くなったものだと実感した。
      「はやて1号」を降り八戸線に乗り換える。ずいぶんかわいらしいカラーリングに変わっていた。
      空き席を探して歩いていると後ろから声をかけられた。同期のmiuraだった。miuraは大宮に住んでいるので
      同じ「はやて」に乗り合わせたようだ。本八戸で下車し中心街へ向かう。ホテルの前で一旦miuraとおさらばして
      して少し市内観光とした。本当は「はやて3号」に乗れると披露宴の時間にぴったりだったのだが前日にチケットを
      買いに行ったら「満席」とのこと。「自由席で行く」と言ったら全席指定とのこと。知らなかった。
      よって始発の「はやて1号」に乗ることになってしまい時間が余ってしまった。
      ホテルに荷物を預け歩いていると靴に違和感が。右のかかとが崩れてきた。めったにはかない靴だからだろうか?
      とりあえずかかとを剥がして歩きやすくして、靴屋探しとなった。数百mも歩かないうちに反対側も崩れてきた。
      なんじゃこの靴は!思えば数年前の会社の同期の結婚式ではカメラマンを頼まれたものの肝心のカメラが披露宴の
      最中に故障してしまいえらい目にあったことがあった。どうも最近は結婚式にでるとトラブルに見舞われる。
      今回もとんだ出費になったが式の前だったので事なきを得た。
      久しぶりに歩いた八戸市内。私が住んでいたころのほうが賑やかだったような気がする。不況のせいだろうか?
      私が八戸に引越しした年にできた「イトーヨーカドー」も閉店し映画館になろうとしていたし「長崎屋」「ニチイ」も無い。
      なんとなく地方都市の哀愁が漂っていた。昔のような活気のある町に戻ってほしいものである。
      さて本題の披露宴は200名を超える盛大なものであった。ほとんどがバレーボール関係者。会場でバレーボールが
      始まる始末。他にも津軽三味線、手踊り、南京玉すだれ、カラオケ等何でも出てくる演芸大会となった。
      やはり地方は役者が多い。久しぶりに楽しくすばらしい披露宴であった。
      その後2次会、三次会〜5次会まで参加しホテルに戻ったのはAM2:30.さすがに疲れてバタンキュウ。
      翌日は10時にチェックアウトし「三春屋」でみやげ物探し。青森土産を探しているとまたまたmiuraと会った。
      彼も家族のための土産を探しに来たようだ。またひょんなところで会うかもしれない。今度は東京かな?
      帰りも「はやて」であっという間に上野。八戸もずいぶん近くなりました。

      S中バレーボール部
      先日、中、高と同じバレー部だった友人から来たメールの最後に「横島先生の墓参りにでも行こうかな」とあったので
      ふと中学時代を思い出してしまいました。中学の思い出と言えばバレー部ばかりです。
      私は中2の4月にS中に転校しました。仲良くなったクラスメイトに「部活何やってたの?」と聞かれすかさず「バレー」
      と言ったが最後、その友人もバレー部だったため早速入部となってしまった。前の中学のバレー部は弱小であまり良い
      思い出がなかったので、野球とか他の部活にしようかなと思っていたのに。
      練習に参加するとレベルの高さに驚き。話を聞くと2年前には東北大会で優勝。八戸市内では3年間負け無しの強豪校。
      ついて行けるか不安だったけど3ヶ月もすると3年生は引退。我々2年生の代となった。
      横島先生は美術の先生でした。練習熱心だったのか暇だったのか知りませんが毎日のように体育館に来て遅くまで指導
      してくれました。結構厳しい先生でもあり汚いペラペラのスリッパで頭をパコーンとやられたものです。
      厳しい練習のおかげで私のサーブとレシーブはチームNo1と自負しています。
      最初の市内大会は秋の新人戦。私はスタメン外れのゼッケン8番。ベンチスタートとはいえ私の仕事は今で言うスーパーサブ。
      チームがピンチの時に登場しサービスエースやスーパーレシーブの連発。それなら最初から出ればと思うでしょうがバレーで
      はやはり背が高い方が有利。後衛が終わるとまたベンチと言う事です。
      チームは順調に決勝まで進みましたが決勝では大苦戦。セットカウントも1対1になってしまいました。市内大会で1セット
      取られるのも何年ぶりとのこと。応援に来ていた先輩達に怒られながらも最終セットは危ないながら私の連続サービスエー
      スで勝ったような気がします。
      正直言って詳しいスコアや試合内容は良く覚えていないのですが、結婚式等で会ったときに出る話はあそこでお前が出てき
      たから勝てたとかよく言われるので、そうだったんでしょう。
      ピンチサーバーに出るたびにサービスエースを取っていた気がしますがめちゃくちゃ凄いサーブを打つわけでは有りません。
      慎重にかつしっかりと打ったつもりが当たり損なって幸か不幸かヘロヘロとネットを越えレシバーの前にポトン。
      このパタン結構ありましたが結果オーライ。
      結局その後春の大会や中体連等の市内大会は全て優勝で伝統を守ることが出来ました。
      さて県大会になると何故か私がスタメン。秘密兵器というのでしょうか。試合前に提出するスタメンのシートに不動の5人の
      ゼッケンを記入する。残り一つで横島先生が悩みキャプテンに「3と8どっち?」と聞く。すかさず「8」の返事。
      チームがピンチの時に出ていくのとスタートから出るのではやはり緊張感が違い、思いっきり出来る分結果も良くなる。
      こうなると3番のF君は面白くないだろう。このF君。僕をバレー部に入れた張本人です。彼とは変な縁があり家が近く、
      同級生だったので仲良くなったが、母親同士は初対面じゃなかった。F君と僕は同じ鹿児島県出身で誕生日は10日違い。
      実は同じ病院で産まれ隣同士のベットで寝ていたとのこと。母親同士も「あれ〜」ってところでしょう。
      私が出たのが良かったのか、悪かったのか3回有った県大会は全て3位で決勝に進むことは有りませんでした。
      その後私を含めたスタメンの6人中5人は同じ高校に進み、高校でも大活躍するのであった。